Alcohol and Impulse Category:小説昇順 Date:2013年06月07日 クリスはあまり酒に強くない。いや、弱くもないだろうが、自分の酒量が解っていないタイプだ。うっすらと上気した頬と、涙の膜に薄く覆われた瞳から目を反らすことができないままレオンは考えていた。自分もそこまで強いわけではないが、若い頃にはそこそこに失敗もしたし、今は立場上簡単に気を抜かないよう身に付いた習慣のせいで、良い気分になる前に自然とストップがかかってしまう。クリスと飲み交わしたことはそれ程多くはないが、彼はその時の機嫌がそのまま飲み方に出るように感じられた。調子良くグラスを空けていく様子に、自分と一緒にいて気を許してくれているのが解るのは、嬉しくも有り、歯がゆくもあった。クリスは知らない。目の前で人当たりの良い微笑を浮かべ相づちをうっている年下の男が、いつも自分に手を出す隙を伺っていることも、結局何も出来ずに別れた後の小さな後悔が、募り募ってもう限界が近いということも。普段口数の多くない想い人が、酒の勢いのまま他愛のない話をふわふわとした口調でしゃべるのを、微笑ましい気持ちで聞けていたのは初めのうちだけだった。内容は上の空で、呂律が怪しくなってきたその舌を自分のそれで絡めとったらどんな味がするのか、その想像ばかりしている。クリスは相手が自分の話を聞いていないのに気付いているのかいないのか、上の空のレオンを気にせずまたグラスを煽る。そのまま言葉が途切れた。カラリと氷の回る音がする。重たげにいまにも閉じそうな瞼。長くはないが黒く密集した睫毛をレオンは見つめた。酒を飲んだばかりの喉が何故かひどく乾いている。「…クリス、眠いのか」やっとのことで絞り出した言葉。ごくりと唾を飲み込む音がクリスに聞こえやしないかと、それが異常に気になった。すると、やっと口を聞いたな、と思ってもみなかった事を言われて、レオンは首をかしげた。「…お前は、俺にはあまり話さないな」お前と居ると緊張して、飲み過ぎてしまうんだ。と、恥ずかしそうにクリスが笑う。もう、押さえるのは無理だった。レオンの膝が天板に当たりローテーブルが音を立てた。グラスが、と言いかけたクリスの言葉は、最後まで言えずに食われるように奪われた。 「…レオン、酔ったの、か…?」「酔っているのはあんたのほうだ」レオンはあまりしゃべらない。だが他の人間に聞いた所によると、どうやらそれは俺に対してだけらしい。もしかしたら苦手意識をもたれているのかもしれないと、あまり踏み込まぬよう気をつけていると、向こうから飲みに誘ってくることもある。2件目に行く代わりに自宅に招いてくれるぐらいだから嫌われてはないようだ。正直に言うと、苦手に思っているのは俺のほうかもしれない。威圧感があるわけでもないのに、あの淡い青の瞳で見つめられると緊張するんだ。レオンはじっと視線を留まらせて人の話を聞く。緊張している俺はいつもより早いペースでグラスを空ける。意味もない話を続けてしまう。こっそり様子を伺えば、作り物のように端正な顔に微笑をのせて、話の続きを促そうとかしげた首に手入れされた金髪が沿うように流れた。想像した感触とは違っていた。気持ちが良いどころか、自分の心臓がうるさくて気に障るし、彼の唾液を啜る側からもっともっとと湧いてくる飢餓感に狂いそうだ。クリスが逃れようと首を振り、ちゅく、と派手な水音をたてて唇が離れた。アルコールとキスで潤んだ目。向かい合って座っていたはずがいつの間にかローテーブルを乗り越えてきたレオンにのしかかられて、背がカーペットに付いていることに気付く。クリスは乱れる息そのままに上下する胸を這い回るレオンの手を慌てて掴んだ。「ちょ…っ、あ!」すると抗議する暇もなく、今度は相手の膝が足の間に差し入れられる。アルコールでふらつく思考が追い上げられる身体についていかなくて、クリスは胸を喘がせた。視界の端で金髪が揺れている。「飲み過ぎだよクリス…くそっ、もう知らないからな…」こんなことをして、正気に戻ったら嫌われるだろうか?それを恐れていままで我慢してきたというのに。待ってくれ…頼むからと、焦るように先に進もうとするレオンを押しとめるクリスと目が合う。そしてクリスは息を飲んだ。レオンの、こんなに余裕のない顔を見るのは、初めてだったからだ。撥ね除けようと胸に置いた手から伝わる鼓動は早鐘のようだった。クリスは、酔いで火照った顔をさらに赤面させた。彼が、自分をどう見ているのかが、解ってしまった。何事にも動じないと思っていた屈強な精神を持った男が、自分の何気ない仕草ひとつでたちまち正体をなくしてしまう理由が、解ってしまった。驚きと混乱で固まってしまったクリスの唇に、再びレオンはキスを落とした。今度はゆっくりと、宥めるように。そうしてやっと、レオンは初めて彼の唇を味わえたと感じた。「逃げないで…クリス、お願いだ…」やっと聞き取れるぐらいの小さな声は、あのいつも自信に満ちた友人から発せられるものとは思えない程、弱々しく耳に響く。そのせいでこれ以上抵抗する気を削がれてしまったクリスの頭は、もうすっかり酔いが覚めていて、とてもすべてを酒のせいにできる自信がなかった。(お題:酔っぱらいさん油断大敵)