優しい人(A end) Category:小説昇順 Date:2017年12月11日 あの忌々しいアークレイを脱出してからというもの、後ろを振り返る暇などなかった。とうとう宿敵を倒す悲願を果たし、ふと立ち止まった時には、もうこの戦いに終わりなぞ無い事に気付き愕然とした。始まりの元凶を絶った所で、すでに世界に広がり続けている闇は、とうにクリス一人の手に負えるものではなくなっていた。次の世代の育成に力を入れはじめたのも、いつかくる自分の限界が、見え始めてきた気がしたからだ。今すぐ辞めるなどと言うつもりはなかったが、もう手が届くところまできているだろう。そうやって知らず知らずのうちにすり減らした己の精神から目を背けてやり過ごしていた時、出会ったのがピアーズだった。彼は若く、意欲と才能に満ちあふれていて、当然のようにBSAAの理念を背負い立つ気概溢れる姿を、クリスはいつも眩しい気持ちで見ていた。終わりの見えない暗闇を駆け抜けて来たクリスにとって、彼はその先に続く光だったのだ。ピアーズの快活な笑顔が好きだった。今、クリスを上から見下ろす彼の目は、夜のような暗い欲望をたたえていた。時折差し込む雷光がそれに反射し、ぎらぎらと輝いている。茫然と見上げるクリスをよそにそのはだけた胸元にピアーズが口を寄せた。きつく吸い上げられる痛みに我に帰ったクリスは慌ててピアーズを押し戻す。「ねえ、恋人って、男?」拒否を示すクリスに怯むことなくピアーズが睨む。「いくら情熱的な女でも、ここまでやるかな」これを着けたのは、男でしょう。今度は、断定するように言い放った。答え倦ねておろおろとクリスが思考を巡らしているうちにピアーズは躊躇い無くその身体に手を伸ばす。ああ、どうして俺はもっと早くに気付かなかったんだろ。ピアーズが皮肉げに笑う。もっと早くちゃんと自分の気持ちに向き合えていたなら。「そうすれば、他の男なんかに貴方を触れさせやしなかったのに」ピアーズがクリスを抱きしめる。ドキドキと、早鐘のように打つ心音を隠す事もできない。緊張しているんですか?見た事も無い男の顔でピアーズが囁く。怒っているような、しかし慈しむかのような、不思議な声色がクリスの意志を惑わす。「ピアーズ、離れてくれ…」「嫌です」「あ…!ん…っ」押し倒したまま抱きついているピアーズの膝が、クリスの両足を割って股間を撫で、やわやわと刺激した。抗議をしようと開いた唇を再び吸われ、クリスの手が思わず抱き返す様にピアーズの服の背を掴んだ。その間にもピアーズの手はクリスの着衣を乱れさせ、肌を辿り這い回る。「…っふ、だ、駄目だ、ピアーズ、これ、以上はっ」ひく、とクリスの足が跳ねた。ピアーズの指が、別の男に散々慣らされたそこに躊躇なく侵入してくる。無理矢理にも快感を引きずり出そうとする性急な愛撫に、クリスは胸を反らせ、苦痛の声を噛み殺した。すっかり露になった胸板のその登頂に口をよせ、舌で転がすと、きゅう、と柔らかな肉がピアーズの指を締め付ける。「くそっ…あんたにこれを教えた男を殺したいよ…っ」それがクリスと他の男との行為を連想させ、ピアーズの嫉妬を燃え上がらせた。「このまま、抱きますよ」最後の警告だった。ピアーズが一度身を起こし少し離れた瞬間、クリスは自分の上にまたがる部下を押しのけ今度こそ距離をとった。咄嗟に反応できずされるがままに離されたピアーズをまっすぐ見据え、語りかけるようにクリスが言う。「すまない、ピアーズ。俺は」ピアーズのことが好きだった。こうなりたくなかったわけではないが、そんなことよりも彼が幸せになれるなら、それがなによりも重要だった。だから「俺はお前のものにはなれない」俺は、レオンを裏切れない。こんな気持ちのまま、お前に応えられない。感情のままに今彼を受け入れても、その愛に充分に報いることが今のクリスにはできないのだ。そうするには、クリスの中でレオンの存在が大きくなりすぎていた。「…すまない。でも、俺はお前の事を…」クリスからのはっきりとした拒絶の言葉にぴたり動きを止めたピアーズへ、けれども自分は確かにその気持ちが嬉しかったことを伝えようとクリスが言葉を紡ごうとした途端、強い力で今までにないほど荒々しく掴みかかられ、派手な音をたてて後頭部が床へ打ち付けられた。衝撃に息がつまり、目前に影がかかる。再びのしかかってきたピアーズの影だ。「それでも」一度灯った嫉妬の炎は、消えることなくピアーズの瞳をぎらつかせている。「それでも、俺は貴方が欲しい」雷鳴が去り、雨が上がり、そして空が白むまで、ピアーズはクリスを離さなかった。疲れ果てて枕に沈むクリスの寝顔を眺めている。眠りが浅いのか、閉じた瞼の下でわずかに眼球が動いているのがわかる。目が覚めた直後、隣で寝入るクリスの存在にピアーズが幸福を感じたのは一瞬だけだった。おそらく、こんなふうに彼と朝を迎えるのは、これが最初で最後になるだろう。彼からの好意を感じたのは本当にただ自分の思い上がりだったのだろうか。もしかしたら、ピアーズのことを思って身を引いたのではないのか…今となってはすべて想像でしかないし、だからといって今更クリスが恋人という男を裏切ることもないだろう。クリスの、そういうところが好きだ。それを知っているから、悲しかった。眠るクリスを揺り起こし、もう一度自分の思いの丈をぶつけたい気持ちに駆られる。伸ばした手は、しばらくうろうろと空中を彷徨ったが、結局その肌に触れることなく、ピアーズは、クリスを起こさないようそっとベッドを抜け出した。このまま側に居てこれ以上、何かをしでかしてしまう前に。支部が無人になることはないが、さすがにこの時間の訓練場には誰もいない。ピアーズは適当に練習用の銃をとり、射座に立った。早朝の空気に銃声が響く。どれだけ心が乱れていても、もう随分見慣れてしまった的は目を瞑っていても外すことはない。期待していたほどの気晴らしにもならず、早々に銃を下ろす。イヤーマフをはずすと誰かが射撃場に入ってくる気配を感じた。「えらく早いな、どうかしたのか?」やってきたのはアルファチームのマルコだった。明るく話かけてくる口調がどことなく白々しい。「別に…」「昨日、隊長と一緒だっただろう。何かあったんじゃないか」「何も無い。あったとしても、俺と隊長の問題だ」他人には関係ない、と取りつく島も無いピアーズの態度に大きなため息をつき、おまえなぁ、とマルコは声を荒げた。「関係なくないんだよ。お前が隊長を追いかけるのは勝手だけどな、隊長を慕ってるのはお前だけじゃないんだ」お前の心配をしてるんじゃない、とマルコは言う。「お前と隊長に何があったのか知らないし、俺が首をつっこむようなことじゃないんだろう」だけど最近のクリスはあきらかにピアーズへの態度が変だ。「隊長はああ見えて、結構思い詰めるほうだから…」「お前にクリスの何が解る」ぴしゃりと言い放ったピアーズに、マルコは怒りよりも呆れが滲む表情で口を閉じた。「…まるで自分なら解るみたいな口ぶりだな?」少し頭を冷やせよ、と言い残しマルコは去って行った。何もしらないくせに上から諭されて頭にきたが、彼の言う事はもっともだった。嫉妬にかられて、クリスを傷つけてしまったのは確かに、他でもない自分だ。自分は、彼のことをそんなに解っているのか?マルコがクリスを心配するように、彼の気持ちを慮った行動が出来ていたか?彼を自分のものにしたかった。誰にも渡したくなかった。けれどその前に、彼に向けていたのはもっと単純な感情であったはずだ。「クリス」自分を呼ぶ声がする。ああそうか、昨夜はピアーズが来ていたんだ。「ピアーズって?」目を開けた。レオンが、ベッドに腰掛けてクリスを見下ろしている。「ただいま。さっき、帰って来たんだ…起こして悪かった」早く会いたくてさ、そう言ってクリスの髪を撫で、穏やかな顔で笑っているレオンを見て、クリスは昨夜のことが夢だったかのように感じた。夢だったら良かったのに。「おはよう…レオン、おかえり」まだ少しぼんやりしている額にキスをして、夢を見ていたのか?寝言言ってた、とレオンが言う。「ピアーズって、誰?」昨夜からそのままの姿でベッドに横たわるのクリスの腕を、レオンが押さえている。さして力は入っていないが、静かに問いつめる目がしっかりとクリスの動きを封じていた。昨夜このベッドに誰がいた?と。「レオン…話したい事が」「それ、別れ話なら聞かないよ」起き抜けの頭で意を決して口を開いたクリスは、遮ってきたレオンの言葉にそのまま固まった。「理由なんて…他に好きなやつがいるとか、浮気して俺に悪いからとか、そんなの何があってもどうだっていい。俺は別れる気は無いから」それでも言いたいことがあるなら、聞くが。と、思いもよらなかったレオンの言い分に何をどう答えていいのか解らないでいたクリスだが、「それで、俺のクリスに手を出したのは、誰だ?」自分にならともかく、他へと向かいそうなレオンの怒りを感じて、とにかく話を聞いてくれとあわてて取り繕った。「その…着替えるから、リビングで待っててくれ」「ここでいい、着ろよ」昨夜の名残を残す身体を見られたくなかったのだが、今のレオンの有無を言わさぬ雰囲気に逆らえず、なるべく素早く床に投げられっぱなしになっていた衣服を身につける。じっと見つめるレオンの表情からは感情が読み取れない。「先に言っておくが…もし、それが合意の上でないなら俺はそいつを…」あれは合意の上だっただろうか。少なくとも、ピアーズだけのせいではないとクリスは思う。「レオン、お前に謝りたいことがある」レオンの優しさに逃げて、ピアーズに背を向けた。自分のせいだ。少し薄くなってきた自分が残した跡の上を、塗りつぶそうとしたように上から重ねられた痣を見て最悪の事態を想像した時は冷水を浴びせられた気分だった。クリスの話を聞くと無理矢理ではないと言うが、レオンはまだ半信半疑だ。クリスは流され易いし、少し自虐的だ。相手に好意を持っていたなら尚更…よくわかる。それにつけ込んだのは自分も同じだから。でも、クリスが、思いを寄せていた相手よりも自分を選んでくれたと言うのなら、今回は目を瞑ろう。何をされたのか直接その体に触れて確認したかったが、これ以上他の男の痕跡を見つけてしまったら、傷心のクリスをさらに傷つけてしまいそうで、我慢した。「俺はいいかげんな男だよ。お前が、そこまで大切にするような人間じゃない」「お前は俺を選んでくれたんだろう?」「…でも、結局は拒めなかった。お前を傷つけてしまった、だから…」クリスは口ごもった。本当に別れ話をするつもりだったのが、レオンが先回りして聞かないと言ってしまったので、話の着地点が解らないのだろう。律儀な奴。なんだかレオンは可笑しくなった。「クリス、おいで」ベッドに座るレオンにクリスがおそるおそる歩み寄る。レオンは側にきたクリスの腕をとり引き寄せる。バランスを崩したクリスをレオンが抱きとめ、2人はベッドの上に転がった。「馬鹿だな」レオンがクリスを抱きしめて言う。「俺に黙って好きなやつの手をとれば良かったのに」別の誰かと関係を持った事実は、確かにレオンの心の中で燻っている。けれどクリスが自分を選んでまだここにいることは単純に嬉しい。馬鹿な奴だ。自分を繋ぎ止める檻に、自ら戻ってきたのだから。「レオン、ごめん。俺は、今更こんなこと言っても信じられないかもしれないけど」俺は、お前を好きだと思う。クリスの口から初めてその言葉を聞いた。好きなんだ、ともう一度クリスが呟く。レオンの許しを得るように。このままレオンとこの関係を続けるなら、そしてクリスが本当にレオンのことを好きになったなら余計に、この先ずっとクリスは罪悪感を抱き続けるのだろう。そしてその罪悪感は枷となり、レオンが望む限り外れることはない。それでいい。縛り付けてでも、レオンにクリスを手放す気なぞさらさら無い。俺も充分、自虐的かもしれない。レオンは思った。こうやって何重にも予防線を張らないと、失うのが怖くてたまらない。きつく抱きしめられて、苦しそうに目を細めているが何も言わないでレオンのしたいようにさせているクリスが、自分を好きだと言っている。その言葉が聞けただけで、レオンにはその真偽はもうどうでも良かった。嘘のつけないクリスの言葉。一度口にしたら、それがクリスの真実になるだろう。馬鹿な奴だ。こんな厄介な男に、捕まってしまって。「信じるよ」レオンはクリスに優しく口づけた。この馬鹿で愛しい男が二度と自分を突き放せなくなる程、優しいキスを。「でも俺は、隊長のこと好きですよ」別にそれは俺の自由でしょう。あっけらかんとピアーズは言った。クリスは、返す言葉もない。レオンに向き合うと決めてから、もう今更ピアーズに自分の想いを明かすつもりはなかったが、このままうやむやにする訳にはいかないと、ピアーズを自分のオフィスに呼び寄せた。ピアーズは無体を強いた事について土下座せんばかりの勢いで謝ったが、だからと言ってただ諦めるつもりはないと、妙に吹っ切れた表情で言ったのだった。「俺は見返りを求めてクリスを好きになったわけじゃないですから。貴方の側で、貴方の背中を守って戦えたら…もともと、それで良かったんです」明るい笑顔は、クリスが好きだった顔だ。「俺は…俺は、お前に、幸せになって欲しかったんだ」「俺は貴方を選んだけど、貴方は、貴方の恋人を選んだ。…何もクリスのせいなんかじゃないですよ」それに、もし貴方が恋人と別れても、俺はずっと一緒にいれますからね。あ、じゃあ別に諦めなくてもチャンスはあるってことですよね?そんな風に言われてクリスはあわてた。「えと、それは、その、困る…お前をそんな風に縛り付けるわけには、俺は」「俺の幸せを勝手に決めないでもらえます?」そういえば、今までピアーズに口で勝てたことはない。ううむ、と黙り込んだクリスを、ピアーズは楽しそうに見つめている。彼の肌を知ってしまった今、自分の物にできないことに悔しさはある。けれど、きっと自分は誰よりもクリスと過ごす時間は長い。貴方の側で戦い、貴方の為に死ねるのは、俺だ。それは誰よりも濃い絆ではないか?「恋人に伝えてください」ざまあみろって。クリスの困り顔を見て、そんな可愛い顔しないでください、とピアーズが悪戯げに笑う。それでもし仲がこじれても、クリスには俺がいますからね。確かに自分がああだこうだ言葉を取り繕ったところで、家族に等しい仲間としてその絆を断ち切ることなど、できない。できないが、それをクリスの嫉妬深い恋人が納得するかどうかは、話は別だ。レオンの腑に落ちなさそうな顔が脳裏をかすめ、クリスはもうため息をつくしかなかった。一人になったオフィスで、ピアーズの言葉を考えていた。自分を守って死ぬなんて、そんなこと想像もしたくなかったが、自分達の明日がどうなるか解らないのは確かで、それはレオンも同じだ。最初の夜に見せたレオンのすがるような手を思い出す。あのいつも冷静なレオンが、自分にだけ時折見せる弱さや、些細な我が侭が愛しかった。いつか互いが知らないところで、どちらかがその幕を閉じることになるかもしれない。いつか来るその時まで、あの強くて優しい男が帰りたいと思う場所になれたらと願っている。クリスは立ち上がり、部屋の明かりを落とすと、レオンが待つ家へと帰る為に部屋を出た。