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小説置き場です。

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太陽と夜(B end)

クリスの名前は軍にいる時から知っていた。
初めて会った時の印象を覚えている。鍛え上げられた体躯に低く落ち着いた声、無骨でタフな雰囲気。想像通り強い男の象徴のような人。対バイオテロの英雄。
「英雄なんてモノじゃないよ」と彼は苦笑いした。この人の背中をしっかり見ていこうと思った。
ピアーズは昔から物事を客観的に捉える性質を持っていて、親しみやすい性格と人当たりの良い外見からあまりそうとは思われないが、物事と自分を切り離して考えることが得意だった。自分にそういう冷たい面があることも自覚している。陸軍所属の頃もBSAAに入ってからも、畳み掛ける様に降り掛かってくる犠牲に精神的に耐えきれず、去って行った者の背中を何人も見送ったが、ピアーズはたとえ友人を亡くし悲しみに暮れようとも、切り替え立ち直る時間はそう多く必要としなかった。それよりも前を向き進み続けることが、彼らへの手向けになると信じてもいた。
クリスなら自分と同じ、いや、それよりももっと多くの苦難を超えてきて、精神的にもずっとずっと強いのだろうと思っていた。

しかし、隊長は。この人は。

彼はとても感情的だった。そしてそれを露にできる立場ではなく、暗い悲しみを心の奥に押し込めて重荷を負い続けていた。彼は最初から今まですっと、何も知らないまま理不尽に倒されていった仲間達の為に戦ってきたんだろう。張り詰めた精神はあと少しつつけば壊れてしまいそうな危うさがある。それをずっと長い間、誰にも知られぬよう、逞しい肉体で覆って隠していた。
そしてそれに気付いてもピアーズは、決して失望したりはしなかった。
そんな優しく繊細な彼の人間性を愛していた。だからこそ、彼は希望なのだと尚の事強く思った。
冷静に見るのは俺の役目だ。足りないところは自分が補えば良い。彼が深い悲しみに捕われても、自分が側で支えれば良い。側にいて彼の痛んだ心を守れれば良い。いつまでも共に有りたい。


自分が気付くずっと前からもう、それは恋だった。







嫉妬に後押しされた荒々しいピアーズの口づけを退けようと押し返してきたクリスの腕は、戸惑っているのだろうか、大した力でもなく、ピアーズにも難なく押さえ込めた。抵抗が弱々しくなるにつれ、ピアーズの血が上った頭も少しずつ冷静さを取り戻す。
腕を押さえたままクリスの顔を覗きこんだ。困った様な、泣きそうな顔をしながら、息を整える様が妙にそそる仕草に写り、ピアーズにはっきりと情欲を自覚させた。いままで、彼がそういう対象になるはずがないと頭から思い込んでいたせいで意識したことがなかったが、一旦気がつくとなんて無防備でつけこまれやすい人なんだ、と、自分の行いを棚に上げて少し腹立たしい気分になってくる。
「あなたを…抱きたい」
「ピアーズ…」
「だけど、苦しめる様なこともしたくない」
名残惜しげにクリスの濡れた唇を指で拭い、ピアーズは身を離した。解放されたクリスも黙って起き上がる。気まずそうにこちらを伺うクリスに向けて、ピアーズは無理矢理笑顔をつくる。
「すみません、ゲストルーム、借りますね」
「あ、ああ…」
さすがにこのまま2人きりでいて、平常心でいられる自信はない。
「頭を、冷やします」
なるべく、クリスの顔を見ない様に部屋を出た。



一人になると否が応でも考えてしまう。
彼の匂い、体の暖かさ、唇の感触。
いつもどんな顔をして、恋人に抱かれているのだろう…。
「くそっ…!」
何故、それが自分じゃない。物わかりの良いフリはできても、わだかまる感情はコントロールできない。
今夜は眠れそうにない。






何十回と寝返りを打ってじりじりと長い夜を明かした。できれば、クリスが目を覚ます前に出て行こうと思っていたが、明け方はまだ雨が強く降っており、ようやく出発できそうな天気になったころにはもうクリスも起きて寝室から出て来ていた。彼もあまり眠れていないようだった。
互いにぎこちなく朝の挨拶を交わし、クリスにすすめられるままにテーブルについた。客人がいるからか、いつもの習慣なのか、思いのほかきちんと朝食を用意するクリスに意外ですねと思わず零すと、失礼なやつだな、と軽い抗議が返って来て、互いの顔を見合わせ笑った。
それで少しは暖かい気持ちになったが、ストックされた使いかけの食材や微妙に揃った食器などを見ていると否が応でも彼と誰かとの生活を連想してしまい、ピアーズは静かに、しかし自分でも驚くほどに傷ついていた。いつのまにか、今まで勝手に自分こそがクリスに一番近いのだと、思い込んで安心していたのだ。彼のことなら、なんでも解ると。こんな些細なことさえ、知らなかったのに。
あんなに側にいたのに、何も、自分の気持ちにさえ気付かず、ぐずぐずしているうちに他の男に間に入られていただなんて。昨夜何度も気持ちを落ち着けた筈なのに、やはり、駄目だ。
このまま聞き分けの良い部下の顔をするのも限界だ。諦めることなんて出来ない。
コーヒーの入ったマグカップをクリスがピアーズの前に置いた時、ピアーズがそっと、その手に己の手を重ねた。
「クリス、俺にもう望みはありませんか?」
クリスは、黙っている。ピアーズにとられた手は、特に抵抗なく、そのまま握られていた。
「あなたを困らせてることは解っています。それでも俺は、やっぱりあなたを…」
「ピアーズ、俺は」
クリスが意を決した顔でピアーズの言葉を遮った時、玄関が開く音がした。




「えーと…俺の部下のピアーズ・ニヴァンスだ。ピアーズ、こっちは…」
「Mr.ケネディ。存じております。以前レポートを拝見しました」
「初めまして。…それは光栄だね。BSAAのエースに覚えてもらえるなんて」
さすがのクリスにも、この場の空気ぐらいは読める。よく知る2人の男が、いつもよりもずっと丁寧で、尖った挨拶を交わすのをなんとも言えない気持ちで見守っていた。
「外のバイクは」
「あ、ああ。ピアーズのだ。昨夜はすごい雨だったから、それで…」
そうか、いいの乗ってるな。ええ、まあ。なんて白々しいトーンの会話が聞くに耐えないのは、自分が後ろめたく思っているからか。レオンに、そして、ピアーズにも。
「レオン、朝食がまだだったら、お前も…」そのまま聞いているのもいたたまれなくて、クリスがレオンとピアーズの間に割って入った。
「そうだな…これ、お前が?」テーブルの上の食事を見てレオンがくすりと笑う。「この前俺が用意したのとまったく同じだな」
それはその通りで、きちんとした食卓など準備したことのないクリスが、レオンが適当にストックしてあった食材を使って、いつかレオンに振る舞われた時を思い出しそのまま真似して並べたのだった。昨晩ぎくしゃくしてしまった、ピアーズとの会話の糸口になれば、と…。
「まあその、見よう見まねで…」なんだか自分が滑稽な真似をしているようで、バツが悪く顔を赤くするクリスをレオンがにやにやと見つめている。
「俺、そろそろ行きます」
その2人のやりとりを見て何を察したのか、ピアーズが席を立った。
レオンの手前、引き止めるのも間違っている気がして、帰り支度をするピアーズをクリスは黙って玄関先まで見送りに行く。
「泊めてくれてありがとうございました、隊長。あと朝食も」
昨晩ひととき見せた情熱はなりを潜め、朝の太陽に似合う笑顔でピアーズが礼を言った。
「なんだか急かしてしまって悪かったな…」先ほどの話の続きを、またあとで、と言いたかった。が、レオンの顔を見て、クリスは決心を鈍らせてしまっていた。この一晩、ピアーズに自分の気持ちを打ちあけるかどうか考えていた。レオンとの事は別にしても、誠実に向き合おうとしてくれた彼に報いるために、本当の気持ちを言うのなら今だと思ったのだが…ピアーズは、もう、なかったことにして欲しいだろうか?
それ以上声をかけあぐねているクリスをピアーズはしばらくじっと伺い、その後ろからレオンが来ないことを確認すると、そっとクリスの耳元に唇を寄せた。
「話の続きは、支部で」
はっとクリスが顔をあげると、さっと離れたピアーズがにこっと笑い、バイクの方へ走って行った。


エンジン音が遠ざかる。後には朝のさわやかな空気だけが残った。
ピアーズは決断した。自分の気持ちを偽ることなく、彼女との関係を反故にしたのだ。
自分も腹をくくるべきだと、クリスは思った。










「いつか、それを言い出すと思っていた」
クリスの告白を聞き終えてレオンが静かに言った。驚いて言葉の無いクリスを見つめ、寂しそうに笑う。
「いや、他に好きなやつがいるとまで、解ってたわけじゃない。だが、お前はいつも、心ここにあらずって感じだったよ」
そして、一度も俺を好きだと、愛していると言ってはくれなかった。
「レオン…」
クリスは思わずレオンに触れようと手を伸ばしかけたが、はっと気付いて止める。もう、自分にその資格はないのだ。だがレオンは下ろしかけたクリスの手を迷わず握り、引き寄せる。そして痛い程の力で抱き締めた。
「それでも…俺は、俺は、このままでも良かったんだ」こうしてお前を抱いていられるなら。
クリスは彼に何と言うべきなのか解らなかった。これ以上の謝罪も慰めも、相手を惨めにさせるだけだ。
「レオン…こんなことを言われても、お前は嬉しくないかもしれないが、俺は…俺は、お前に救われていたんだ。本当に…お前と居る時だけは、孤独を感じなかったんだ」
そして、そのためにお前を利用してしまった。すまない。と、結局謝ることしかできない自分が歯がゆい。
「謝るな。そんなことはどうでもいい!俺を利用したいならそうしてれば良かったんだ!ずっと…このままずっと……っ!!」
初めて聞くレオンの激昂に、クリスはびくりと体を強ばらせた。彼が取り乱すところなど、見た事が無かったし今まで想像もできなかった。
お前を愛しているのに、こんなにも!!
そう訴えるレオンの目は、まるで憎い者を見るかのようにぎらぎらと刺す鋭い光を宿していた。
「レオ、ン………っ!」
レオンの手が首もとに食い込んだ。息を奪うようなキスだった。
2人の体がテーブルに当たり、音を立てて残った朝食が床へ落ちる。側の椅子と一緒に倒れたクリスの上にレオンがのしかかり、貪るように手が、唇が体を辿る。
クリスは、必死で息を吸い、そして、体の力を抜いた。
一切の抵抗を放棄したクリスの肢体をしばらく撫でていたレオンだったが、はあっ、と大きく息をつくと、起き上がってその体を離す。
うつむいたまま、長い前髪で隠れて表情は見えないが、怒っているようにも、泣いているようにも見えた。
クリスは乱れた服をのろのろと整え、立ち上がる。床に座り込んだままのレオンに手を貸そうとしたが、彼はもう、その手をとろうとはしなかった。
「行ってくれ。お前の気持ちは解った。……俺にも、考える時間をくれ」
クリスには今度こそ、彼にかけられる言葉が何も無かった。
いままで、ありがとう、と必死の思いで絞り出した一言も、それが適しているとは思わなかったが、それでも最後に何か言わずにはいられなかった。











今の気持ちのままフィールドに立っても人に指示をできるような状態ではないと思い、オフィスで貯まっていた事務仕事を片付けようと部屋にこもっていたが、何度か繰り返し目を通さないと書類の内容も頭にはいってこず、あきらめてクリスはデスクを離れ、窓から見える演習場を見るとも無しに眺めた。
もう、西日が差し込む時間になっている。
話は支部でと言われたものの、時間や場所を指定したわけでもない。今日はピアーズには会わないかもしれないな、と思っていたが、優秀な部下は律儀にクリスのオフィスの扉をノックした。
「あれ、全然終わってないじゃないですか」
結局読まれず仕舞いだった書類の束に目をやり、もう、俺が見てないと駄目ですね、とピアーズは笑った。こうやって明るく振る舞っているのも、自分を気遣ってくれているからだとクリスは知っている。そしてそんなピアーズを愛していた。もう随分長い間…。彼も同じ気持ちでいてくれるなんて思っても見なかった。展開が早過ぎて自分の中でうやむやになっていたその事実が急に手の届くところに降りて来て、クリスは胸がいっぱいになった。ピアーズに思いを告白されてから今ようやく、純粋な嬉しさと幸福を感じて、意識する間もなくクリスの目から涙がぽろりとこぼれ落ちた。
「くっ、クリスッ!?どうしたんですかっ!」
ピアーズがあわてて側に走り寄る。クリスも慌てて目を拭うが、意志に反してぽろぽろと涙が溢れてくる。
「あ、ぅ、す、すまない、なんでもない…」
「なんでもなくて貴方が泣く訳ないじゃないですか」いたわりのこもった声色で部下が言う。無闇に目を擦ろうするクリスの手をそっと押さえて「俺が、貴方を困らせているからですか…?」と、おそるおそる訪ねる。「違う、ピアーズ…俺は…」

クリスは、告白した。
ずっとピアーズのことをそういう意味で好きだったこと。
自覚したその瞬間から、気持ちは墓まで持って行こうと決めたこと。
大事な人が居ると知って、彼女との幸せを願いたいのに傲慢にも傷ついてしまったこと。それを、レオンに慰められたこと。そして、すべてを今朝、レオンに話したこと。できるだけ正直に、ピアーズに気持ちを打ち明けた。
お前は、自分が進むべき暗闇を、照らしてくれる光だと。

ピアーズは、黙って聞いていた。
クリスが話終え、ほっと息をつく。それと同時に、自分の手を握っているピアーズの手が震えていることにやっと気が付いた。
「ほんとうに……?隊長……クリス、クリスが俺のことを…?」
ピアーズの顔を見られず俯きがちのまま、クリスはこくり、と頷く。
途端にぎゅう、と勢いをつけてピアーズが抱きついてきた。
「どっ、どうしてっ、もっと早く…いや、でも俺が…そう、そうか。俺は、俺は馬鹿だ。もっと早く気付いていれば…」なにやらぶつぶつとまくしたてていたかと思えばがばっと身を起こし、クリスの頬をそっと掌で包み顔を上げさせる。
「クリス…嬉しい。本当に。俺、今までで一番っ…」
とうとう言葉にならなくなってきたピアーズの頬に今度はクリスが手を添え、その唇に静かに口づけた。
「そう言いたいのは、俺のほうだ。こんな浅ましい俺を、選んでくれて…ありがとう」
お前を、愛している。
目尻に涙を残したまま微笑むクリスに、今度はピアーズが口づけた。クリスからのそれとは違って、深く、長い、情熱的なキスだった。





そのまま事に及んでしまいそうな程の熱烈なキスと抱擁を受けて、なんとかピアーズを押しとどめたクリスは、この後夜のシフトが入ってることを逸る部下に思い出させた。優等生な彼には似つかわしくなく駄々を捏ねたピアーズだったが、さすがに隊長としてこんな場所でこれ以上のことを許すわけにはいかない。そこは頑として譲らなかった。先ほどまで己を想って泣いていた可愛い上司の固辞な態度にピアーズは不満げだったが、しぶしぶと従った。それでも嬉しそうな表情を隠そうともせず、「失望させませんから、待っててくださいね!」と、落ち着かない感情のままにどたばたと持ち場へ向かって行った。失望させないって…ナニに対してだ…といささか懸念を抱いたが、ふっ、とクリスの口から笑みが溢れる。
だが、幸せだけを感じていたのも束の間、ちらりともう一人の男の影を思い出す。彼は…
また、どたばたと今度はこっちに向かってくる足音が聞こえてきて、ドアの方を見ると、戻って来たピアーズがさっと顔を出して、「言い忘れていました。俺も貴方を何より愛しています!」と二度目の宣言をし、真っ赤になったクリスの顔を満足げに眺め、では!とまたそのままの勢いで掛けて行った。
大丈夫だ。自分はもう、何も詐ることはない。彼を、レオンを欺いてしまったことで、罰を受けることがあるならそれも構わない。ピアーズと歩むこれから先の未来だってどこまで続くのか、何の確証もないが、もう、それを迷うのは辞めよう。今、己の太陽がここに居るのだから。






ピアーズの仕事が終わるまで待っていても良かったが、何事もなさそうなら次の任務に備えて睡眠をとって置こうと、昨日眠れなかった疲れを感じつつクリスは外に向かった。
体力に自信はあるが、やはり歳かと思いつつ暗くなり始めた駐車場で自分の車を探していると、見知った車体が側まで近付いてきた。
「レオン…」
運転席のウィンドウが開く。
「乗ってくれないか。…それとも、もう話もしたくない?」
そんなはずがない。すぐさま否定すると、ほっとした様子で弱々しく笑うレオンの顔にズキリとクリスの胸が痛む。
助手席にクリスが乗り込むと、ゆっくりとレオンは車を発進させた。
「大人げない真似をしてすまなかった…」
落ち着いたレオンの様子にクリスは安心した。ただただ、申し訳なさだけが募る。
「いや、お前が謝ることはない。俺が悪いんだ」
先ほどまで気が張っていたからか、安心したら疲れがどっと押し寄せて来た。
「あれから…考えたんだが」
走る車体に規則正しいリズムで揺すられ、少しずつ、眠くなってくる。
「お前が誰を想っていても、俺はお前が欲しい」
レオンが何か言っている。一生懸命聞こうとするのだが、睡魔が一気に襲ってきて、目を開けていられない。
「誰にも、渡したくない」
ああ、なんだか良い香りがする。レオンの香水だろうか?
クスクスと笑う声が聞こえる。レオン?
「可愛いね、クリス。笑顔も好きだが、困った顔も、怯える顔も、泣き顔も……全部好きだよ」


そして、夜が来た。