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小説置き場です。

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太陽と夜(B end)

クリスの名前は軍にいる時から知っていた。
初めて会った時の印象を覚えている。鍛え上げられた体躯に低く落ち着いた声、無骨でタフな雰囲気。想像通り強い男の象徴のような人。対バイオテロの英雄。
「英雄なんてモノじゃないよ」と彼は苦笑いした。この人の背中をしっかり見ていこうと思った。
ピアーズは昔から物事を客観的に捉える性質を持っていて、親しみやすい性格と人当たりの良い外見からあまりそうとは思われないが、物事と自分を切り離して考えることが得意だった。自分にそういう冷たい面があることも自覚している。陸軍所属の頃もBSAAに入ってからも、畳み掛ける様に降り掛かってくる犠牲に精神的に耐えきれず、去って行った者の背中を何人も見送ったが、ピアーズはたとえ友人を亡くし悲しみに暮れようとも、切り替え立ち直る時間はそう多く必要としなかった。それよりも前を向き進み続けることが、彼らへの手向けになると信じてもいた。
クリスなら自分と同じ、いや、それよりももっと多くの苦難を超えてきて、精神的にもずっとずっと強いのだろうと思っていた。

しかし、隊長は。この人は。

彼はとても感情的だった。そしてそれを露にできる立場ではなく、暗い悲しみを心の奥に押し込めて重荷を負い続けていた。彼は最初から今まですっと、何も知らないまま理不尽に倒されていった仲間達の為に戦ってきたんだろう。張り詰めた精神はあと少しつつけば壊れてしまいそうな危うさがある。それをずっと長い間、誰にも知られぬよう、逞しい肉体で覆って隠していた。
そしてそれに気付いてもピアーズは、決して失望したりはしなかった。
そんな優しく繊細な彼の人間性を愛していた。だからこそ、彼は希望なのだと尚の事強く思った。
冷静に見るのは俺の役目だ。足りないところは自分が補えば良い。彼が深い悲しみに捕われても、自分が側で支えれば良い。側にいて彼の痛んだ心を守れれば良い。いつまでも共に有りたい。


自分が気付くずっと前からもう、それは恋だった。







嫉妬に後押しされた荒々しいピアーズの口づけを退けようと押し返してきたクリスの腕は、戸惑っているのだろうか、大した力でもなく、ピアーズにも難なく押さえ込めた。抵抗が弱々しくなるにつれ、ピアーズの血が上った頭も少しずつ冷静さを取り戻す。
腕を押さえたままクリスの顔を覗きこんだ。困った様な、泣きそうな顔をしながら、息を整える様が妙にそそる仕草に写り、ピアーズにはっきりと情欲を自覚させた。いままで、彼がそういう対象になるはずがないと頭から思い込んでいたせいで意識したことがなかったが、一旦気がつくとなんて無防備でつけこまれやすい人なんだ、と、自分の行いを棚に上げて少し腹立たしい気分になってくる。
「あなたを…抱きたい」
「ピアーズ…」
「だけど、苦しめる様なこともしたくない」
名残惜しげにクリスの濡れた唇を指で拭い、ピアーズは身を離した。解放されたクリスも黙って起き上がる。気まずそうにこちらを伺うクリスに向けて、ピアーズは無理矢理笑顔をつくる。
「すみません、ゲストルーム、借りますね」
「あ、ああ…」
さすがにこのまま2人きりでいて、平常心でいられる自信はない。
「頭を、冷やします」
なるべく、クリスの顔を見ない様に部屋を出た。



一人になると否が応でも考えてしまう。
彼の匂い、体の暖かさ、唇の感触。
いつもどんな顔をして、恋人に抱かれているのだろう…。
「くそっ…!」
何故、それが自分じゃない。物わかりの良いフリはできても、わだかまる感情はコントロールできない。
今夜は眠れそうにない。






何十回と寝返りを打ってじりじりと長い夜を明かした。できれば、クリスが目を覚ます前に出て行こうと思っていたが、明け方はまだ雨が強く降っており、ようやく出発できそうな天気になったころにはもうクリスも起きて寝室から出て来ていた。彼もあまり眠れていないようだった。
互いにぎこちなく朝の挨拶を交わし、クリスにすすめられるままにテーブルについた。客人がいるからか、いつもの習慣なのか、思いのほかきちんと朝食を用意するクリスに意外ですねと思わず零すと、失礼なやつだな、と軽い抗議が返って来て、互いの顔を見合わせ笑った。
それで少しは暖かい気持ちになったが、ストックされた使いかけの食材や微妙に揃った食器などを見ていると否が応でも彼と誰かとの生活を連想してしまい、ピアーズは静かに、しかし自分でも驚くほどに傷ついていた。いつのまにか、今まで勝手に自分こそがクリスに一番近いのだと、思い込んで安心していたのだ。彼のことなら、なんでも解ると。こんな些細なことさえ、知らなかったのに。
あんなに側にいたのに、何も、自分の気持ちにさえ気付かず、ぐずぐずしているうちに他の男に間に入られていただなんて。昨夜何度も気持ちを落ち着けた筈なのに、やはり、駄目だ。
このまま聞き分けの良い部下の顔をするのも限界だ。諦めることなんて出来ない。
コーヒーの入ったマグカップをクリスがピアーズの前に置いた時、ピアーズがそっと、その手に己の手を重ねた。
「クリス、俺にもう望みはありませんか?」
クリスは、黙っている。ピアーズにとられた手は、特に抵抗なく、そのまま握られていた。
「あなたを困らせてることは解っています。それでも俺は、やっぱりあなたを…」
「ピアーズ、俺は」
クリスが意を決した顔でピアーズの言葉を遮った時、玄関が開く音がした。




「えーと…俺の部下のピアーズ・ニヴァンスだ。ピアーズ、こっちは…」
「Mr.ケネディ。存じております。以前レポートを拝見しました」
「初めまして。…それは光栄だね。BSAAのエースに覚えてもらえるなんて」
さすがのクリスにも、この場の空気ぐらいは読める。よく知る2人の男が、いつもよりもずっと丁寧で、尖った挨拶を交わすのをなんとも言えない気持ちで見守っていた。
「外のバイクは」
「あ、ああ。ピアーズのだ。昨夜はすごい雨だったから、それで…」
そうか、いいの乗ってるな。ええ、まあ。なんて白々しいトーンの会話が聞くに耐えないのは、自分が後ろめたく思っているからか。レオンに、そして、ピアーズにも。
「レオン、朝食がまだだったら、お前も…」そのまま聞いているのもいたたまれなくて、クリスがレオンとピアーズの間に割って入った。
「そうだな…これ、お前が?」テーブルの上の食事を見てレオンがくすりと笑う。「この前俺が用意したのとまったく同じだな」
それはその通りで、きちんとした食卓など準備したことのないクリスが、レオンが適当にストックしてあった食材を使って、いつかレオンに振る舞われた時を思い出しそのまま真似して並べたのだった。昨晩ぎくしゃくしてしまった、ピアーズとの会話の糸口になれば、と…。
「まあその、見よう見まねで…」なんだか自分が滑稽な真似をしているようで、バツが悪く顔を赤くするクリスをレオンがにやにやと見つめている。
「俺、そろそろ行きます」
その2人のやりとりを見て何を察したのか、ピアーズが席を立った。
レオンの手前、引き止めるのも間違っている気がして、帰り支度をするピアーズをクリスは黙って玄関先まで見送りに行く。
「泊めてくれてありがとうございました、隊長。あと朝食も」
昨晩ひととき見せた情熱はなりを潜め、朝の太陽に似合う笑顔でピアーズが礼を言った。
「なんだか急かしてしまって悪かったな…」先ほどの話の続きを、またあとで、と言いたかった。が、レオンの顔を見て、クリスは決心を鈍らせてしまっていた。この一晩、ピアーズに自分の気持ちを打ちあけるかどうか考えていた。レオンとの事は別にしても、誠実に向き合おうとしてくれた彼に報いるために、本当の気持ちを言うのなら今だと思ったのだが…ピアーズは、もう、なかったことにして欲しいだろうか?
それ以上声をかけあぐねているクリスをピアーズはしばらくじっと伺い、その後ろからレオンが来ないことを確認すると、そっとクリスの耳元に唇を寄せた。
「話の続きは、支部で」
はっとクリスが顔をあげると、さっと離れたピアーズがにこっと笑い、バイクの方へ走って行った。


エンジン音が遠ざかる。後には朝のさわやかな空気だけが残った。
ピアーズは決断した。自分の気持ちを偽ることなく、彼女との関係を反故にしたのだ。
自分も腹をくくるべきだと、クリスは思った。










「いつか、それを言い出すと思っていた」
クリスの告白を聞き終えてレオンが静かに言った。驚いて言葉の無いクリスを見つめ、寂しそうに笑う。
「いや、他に好きなやつがいるとまで、解ってたわけじゃない。だが、お前はいつも、心ここにあらずって感じだったよ」
そして、一度も俺を好きだと、愛していると言ってはくれなかった。
「レオン…」
クリスは思わずレオンに触れようと手を伸ばしかけたが、はっと気付いて止める。もう、自分にその資格はないのだ。だがレオンは下ろしかけたクリスの手を迷わず握り、引き寄せる。そして痛い程の力で抱き締めた。
「それでも…俺は、俺は、このままでも良かったんだ」こうしてお前を抱いていられるなら。
クリスは彼に何と言うべきなのか解らなかった。これ以上の謝罪も慰めも、相手を惨めにさせるだけだ。
「レオン…こんなことを言われても、お前は嬉しくないかもしれないが、俺は…俺は、お前に救われていたんだ。本当に…お前と居る時だけは、孤独を感じなかったんだ」
そして、そのためにお前を利用してしまった。すまない。と、結局謝ることしかできない自分が歯がゆい。
「謝るな。そんなことはどうでもいい!俺を利用したいならそうしてれば良かったんだ!ずっと…このままずっと……っ!!」
初めて聞くレオンの激昂に、クリスはびくりと体を強ばらせた。彼が取り乱すところなど、見た事が無かったし今まで想像もできなかった。
お前を愛しているのに、こんなにも!!
そう訴えるレオンの目は、まるで憎い者を見るかのようにぎらぎらと刺す鋭い光を宿していた。
「レオ、ン………っ!」
レオンの手が首もとに食い込んだ。息を奪うようなキスだった。
2人の体がテーブルに当たり、音を立てて残った朝食が床へ落ちる。側の椅子と一緒に倒れたクリスの上にレオンがのしかかり、貪るように手が、唇が体を辿る。
クリスは、必死で息を吸い、そして、体の力を抜いた。
一切の抵抗を放棄したクリスの肢体をしばらく撫でていたレオンだったが、はあっ、と大きく息をつくと、起き上がってその体を離す。
うつむいたまま、長い前髪で隠れて表情は見えないが、怒っているようにも、泣いているようにも見えた。
クリスは乱れた服をのろのろと整え、立ち上がる。床に座り込んだままのレオンに手を貸そうとしたが、彼はもう、その手をとろうとはしなかった。
「行ってくれ。お前の気持ちは解った。……俺にも、考える時間をくれ」
クリスには今度こそ、彼にかけられる言葉が何も無かった。
いままで、ありがとう、と必死の思いで絞り出した一言も、それが適しているとは思わなかったが、それでも最後に何か言わずにはいられなかった。











今の気持ちのままフィールドに立っても人に指示をできるような状態ではないと思い、オフィスで貯まっていた事務仕事を片付けようと部屋にこもっていたが、何度か繰り返し目を通さないと書類の内容も頭にはいってこず、あきらめてクリスはデスクを離れ、窓から見える演習場を見るとも無しに眺めた。
もう、西日が差し込む時間になっている。
話は支部でと言われたものの、時間や場所を指定したわけでもない。今日はピアーズには会わないかもしれないな、と思っていたが、優秀な部下は律儀にクリスのオフィスの扉をノックした。
「あれ、全然終わってないじゃないですか」
結局読まれず仕舞いだった書類の束に目をやり、もう、俺が見てないと駄目ですね、とピアーズは笑った。こうやって明るく振る舞っているのも、自分を気遣ってくれているからだとクリスは知っている。そしてそんなピアーズを愛していた。もう随分長い間…。彼も同じ気持ちでいてくれるなんて思っても見なかった。展開が早過ぎて自分の中でうやむやになっていたその事実が急に手の届くところに降りて来て、クリスは胸がいっぱいになった。ピアーズに思いを告白されてから今ようやく、純粋な嬉しさと幸福を感じて、意識する間もなくクリスの目から涙がぽろりとこぼれ落ちた。
「くっ、クリスッ!?どうしたんですかっ!」
ピアーズがあわてて側に走り寄る。クリスも慌てて目を拭うが、意志に反してぽろぽろと涙が溢れてくる。
「あ、ぅ、す、すまない、なんでもない…」
「なんでもなくて貴方が泣く訳ないじゃないですか」いたわりのこもった声色で部下が言う。無闇に目を擦ろうするクリスの手をそっと押さえて「俺が、貴方を困らせているからですか…?」と、おそるおそる訪ねる。「違う、ピアーズ…俺は…」

クリスは、告白した。
ずっとピアーズのことをそういう意味で好きだったこと。
自覚したその瞬間から、気持ちは墓まで持って行こうと決めたこと。
大事な人が居ると知って、彼女との幸せを願いたいのに傲慢にも傷ついてしまったこと。それを、レオンに慰められたこと。そして、すべてを今朝、レオンに話したこと。できるだけ正直に、ピアーズに気持ちを打ち明けた。
お前は、自分が進むべき暗闇を、照らしてくれる光だと。

ピアーズは、黙って聞いていた。
クリスが話終え、ほっと息をつく。それと同時に、自分の手を握っているピアーズの手が震えていることにやっと気が付いた。
「ほんとうに……?隊長……クリス、クリスが俺のことを…?」
ピアーズの顔を見られず俯きがちのまま、クリスはこくり、と頷く。
途端にぎゅう、と勢いをつけてピアーズが抱きついてきた。
「どっ、どうしてっ、もっと早く…いや、でも俺が…そう、そうか。俺は、俺は馬鹿だ。もっと早く気付いていれば…」なにやらぶつぶつとまくしたてていたかと思えばがばっと身を起こし、クリスの頬をそっと掌で包み顔を上げさせる。
「クリス…嬉しい。本当に。俺、今までで一番っ…」
とうとう言葉にならなくなってきたピアーズの頬に今度はクリスが手を添え、その唇に静かに口づけた。
「そう言いたいのは、俺のほうだ。こんな浅ましい俺を、選んでくれて…ありがとう」
お前を、愛している。
目尻に涙を残したまま微笑むクリスに、今度はピアーズが口づけた。クリスからのそれとは違って、深く、長い、情熱的なキスだった。





そのまま事に及んでしまいそうな程の熱烈なキスと抱擁を受けて、なんとかピアーズを押しとどめたクリスは、この後夜のシフトが入ってることを逸る部下に思い出させた。優等生な彼には似つかわしくなく駄々を捏ねたピアーズだったが、さすがに隊長としてこんな場所でこれ以上のことを許すわけにはいかない。そこは頑として譲らなかった。先ほどまで己を想って泣いていた可愛い上司の固辞な態度にピアーズは不満げだったが、しぶしぶと従った。それでも嬉しそうな表情を隠そうともせず、「失望させませんから、待っててくださいね!」と、落ち着かない感情のままにどたばたと持ち場へ向かって行った。失望させないって…ナニに対してだ…といささか懸念を抱いたが、ふっ、とクリスの口から笑みが溢れる。
だが、幸せだけを感じていたのも束の間、ちらりともう一人の男の影を思い出す。彼は…
また、どたばたと今度はこっちに向かってくる足音が聞こえてきて、ドアの方を見ると、戻って来たピアーズがさっと顔を出して、「言い忘れていました。俺も貴方を何より愛しています!」と二度目の宣言をし、真っ赤になったクリスの顔を満足げに眺め、では!とまたそのままの勢いで掛けて行った。
大丈夫だ。自分はもう、何も詐ることはない。彼を、レオンを欺いてしまったことで、罰を受けることがあるならそれも構わない。ピアーズと歩むこれから先の未来だってどこまで続くのか、何の確証もないが、もう、それを迷うのは辞めよう。今、己の太陽がここに居るのだから。






ピアーズの仕事が終わるまで待っていても良かったが、何事もなさそうなら次の任務に備えて睡眠をとって置こうと、昨日眠れなかった疲れを感じつつクリスは外に向かった。
体力に自信はあるが、やはり歳かと思いつつ暗くなり始めた駐車場で自分の車を探していると、見知った車体が側まで近付いてきた。
「レオン…」
運転席のウィンドウが開く。
「乗ってくれないか。…それとも、もう話もしたくない?」
そんなはずがない。すぐさま否定すると、ほっとした様子で弱々しく笑うレオンの顔にズキリとクリスの胸が痛む。
助手席にクリスが乗り込むと、ゆっくりとレオンは車を発進させた。
「大人げない真似をしてすまなかった…」
落ち着いたレオンの様子にクリスは安心した。ただただ、申し訳なさだけが募る。
「いや、お前が謝ることはない。俺が悪いんだ」
先ほどまで気が張っていたからか、安心したら疲れがどっと押し寄せて来た。
「あれから…考えたんだが」
走る車体に規則正しいリズムで揺すられ、少しずつ、眠くなってくる。
「お前が誰を想っていても、俺はお前が欲しい」
レオンが何か言っている。一生懸命聞こうとするのだが、睡魔が一気に襲ってきて、目を開けていられない。
「誰にも、渡したくない」
ああ、なんだか良い香りがする。レオンの香水だろうか?
クスクスと笑う声が聞こえる。レオン?
「可愛いね、クリス。笑顔も好きだが、困った顔も、怯える顔も、泣き顔も……全部好きだよ」


そして、夜が来た。







告別(C end)

目的地に近付くにつれフロントガラスを叩く雨脚が強くなる道のりを、レオンは逸る気持ちを押さえながら車を走らせていた。
幸い複雑なことにはならなかったとはいえ、同行の他エージェントも驚く程の集中力で予定していた案件の調査を終え、クリスの元へと飛んで帰る途中だ。
顔を見れないと、不安になる。
クリスは、レオンを拒まない。いつも穏やかに受け入れてくれる。それなのに何故か、レオンにはクリスに愛されているという自覚がいまいちはっきりと持てずにいた。
長く離れていれば居る程、彼の気持ちも離れていってしまうような気さえする。そんなはずはないと、何度も自分に言い聞かせているが、たとえクリス自身に否定してもらえたとしても、安心はできなかっただろう。会う度に身体の繋がりを求めてしまうのも、つかみ所の無い彼の気持ちを繋ぎ止めようと必死になっている現れだった。
けれども、レオンはクリスが自分の物でいてくれるのならそれで良かった。真実を暴き立てて、彼を手放さなければならなくなることのほうが、恐ろしかった。
クリスをこの手に抱いてしまってからずっと、彼に依存している自分がいる。
…物心ついたころから、独りだった。
幼い頃に亡くした両親の面影も、大人になった今では随分と希薄になっている。人並みに付き合いはあったし、信頼できる人も、幾人かの恋人も持った。寂しさ等感じた事はなかったし、自分を特別孤独だと思ったこともない。むしろ、身軽で好都合だとさえ思っていた。こういった身の上になってからは尚さら。
彼が、”家族”と呼ぶものの、暖かさを知るまでは。
クレアや、彼の大切にする仲間たちに、嫉妬めいた感情さえ湧いた。
クリスが自分の心を傷つけてまで大事に大事にいつまでも抱えている彼らへの想いは、あの日あの街で起こった悪夢を皮切りに汚い人間の欲望をまざまざと見せつけられ続けてなお、戦いに不向きな程優しく、愚かで痛々しいが、美しかった。
そんな彼の心が自分へと注がれている。その甘さを知ってしまった今、失う事がこんなにも怖い。
もしも失ってしまったらその時、自分がどうなってしまうのかも。









「ほんとに慣れてるんですね」
無遠慮にクリスの中に押し入り、憎々しげな声色でピアーズが呻く。
「でも、凄く狭い…」そして興奮を押さえきれない熱く湿った吐息が、クリスの唇をなでた。
ピアーズが思う程、クリスはそれに慣れているわけではなかった。レオンはクリスの負担になる行為は最低限に押さえていたし、する時はことさらに丁寧に事に及んだ。焦る様に性急に繋がりを求めるピアーズに、クリスを気遣う余裕はない。けれども
「クリス、好きです。」
耳元で告げられる言葉にぞくりと背中が粟立った。
貴方も、俺のこと好きでしょう?
「嫌なら俺のこと殴り飛ばして、二度と触るなって言ってみなよ。」
できないでしょ?
事実、クリスの力でピアーズに抗うことは難しくはない。でもクリスには殴れない。
嫌だ、と言葉は口をついて出るが、こんな状況で、拙く荒々しい独りよがりな愛撫も、それがピアーズのものだと思うと愛しかった。レオンの顔がちらつく。どちらつかずの自分への嫌悪感、そんな自分のせいで道を外れたピアーズへの哀れみ、罪悪感、レオンへの懺悔、めちゃくちゃになった感情を抑えるのが精一杯で、固く目を閉じたまま、乞われるがままにピアーズの情熱に揺すぶられ続けた。






カーテンの隙間から差し込む光でクリスは目を覚ました。いつのまにか雨は止んでいる。
ベッドへ移った記憶も曖昧に、ぼんやりと寝返りを打とうとして腰に回されている腕にぎくりと身体を強ばらせた。ピアーズが背中から身動きも出来ぬ程しっかりと抱きついている。
起こさないようにそっと腕を外そうとしたが、それに抵抗するように余計にぎゅっと腕の力が強くなった。
「ん…くりす、起きたの…?」
どうやら起こしてしまったようだ。どこにいくんですか?と目を擦りながらも、半分起き上がりかけていたクリスをまたベッドの中へと引きずり戻した。驚いてクリスが離れようと身じろぎすると、照れてるんですか、かわいい、と、妙に上機嫌でキスをしかけてくる。
甘い恋人同士にするような雰囲気にクリスは戸惑った。ピアーズは昨夜クリスが言ったことを忘れてしまったのか。それとも、行為を受け入れたことで、誤解を与えてしまったのだろうか…。
「や、駄目だ、ピアーズ、待ってくれ」
「どうして?ね、まだ、時間あるでしょう…」
「そ、そうじゃない…」
色のこもった仕草で触れてくる手をなんとか交わし起き上がると、しぶしぶながらピアーズはクリスの上から退いた。
「ピアーズ、その…」
「まあ、いいや。夜まで待ってあげますよ」
ベッドを降りるクリスを片肘を付いて愛しげに見やりながら、悪びれずにそんなことを言う。クリスは曖昧に言葉を濁して足早にバスルームへ逃げ込んだ。何かに急かされる用に湯を浴びて身体を流す。
何かおかしい。
まるで噛み合ない会話。自然に愛し合ったかのように振る舞うピアーズの意図が解らず戸惑いが抜けずにいる。
どちらにせよ、このままうやむやにするわけにはいかない。
双方が落ち着いてるうちにきちんと話をしなれば…。
だが、何をどう話せば良い?
自分でも、どうしたいのか解らなくなってきてクリスは頭を抱えた。昨夜負担を強いられずしりと鉛を飲んだ様に重い自分の身体。いくらシャワーで流しても罪悪感を拭えない。

その時、寝室の方から派手な物音が聞こえた。






「レオン…」
最悪なタイミングだ。
濡れた髪もおざなりにクリスが部屋に踏み入ると、2人の男が睨み合っていた。
先ほどの大きな音はサイドテーブルが倒れた音だろう。床に投げ出された物がちらばっている。
緩く羽織られたピアーズのシャツの胸ぐらを掴んだレオンが、いまにも殴りかかろうと右手を握りしめているところだった。クリスを一瞥すると腕を下ろして乱暴にピアーズを突き放し、よろけたピアーズは倒れまいと踏鞴を踏んだ。
「ピア…… っ!」
倒れそうになったピアーズのほうに思わず足を向けてしまったクリスの動きは、そこへ近付く前にレオンに封じられる。
「そう…こいつをかばうんだな、クリス」
見た事も無い冷たい青い瞳がクリスを射抜いた。
「くっ…」
ぎりぎりと音が鳴りそうな程強い力で握られた二の腕が燃える様に熱い。
「その手を離せ!」今度はピアーズがレオンに食って掛かるが、
「自分のものみたいに言ってんじゃねえよ」
怒りを抑えた低い声に一瞬たじろがされる。しかし、次の瞬間ピアーズは心底おかしそうに笑い出した。
「あんたの顔、知ってるよ。レオン・ケネディ。D.S.Oのエージェント様。なんか、勘違いしてるんじゃあないですか?」
本当に、自分が愛されてると信じていたんですか?
「ピアーズッ…何を…」
「クリスは、俺を忘れて身を引くために、あんたを受け入れたんだ。」
ねえ、そうでしょう。クリス。俺の婚約話が出てから、貴方の態度がおかしくなって、急に恋人なんて作って…。
「クリス、あいつは何を言ってる」
「…」
クリスは何も口を挟めない。自分では、レオン自身を見ているつもりだった。しかし、ピアーズの言っていることもまた、真実だからだ。
「でも、もういいんですよ。もう自分の気持ちに背かなくていいんだ。俺は解っています。昨夜解った……貴方を抱いて」
昨日の貴方の、可愛いことったらなかった。
「おまえ…」
「ピアーズ!」
レオンの目の色が変わった。が、手の力が緩んだ隙にクリスが2人の間に割って入ると鋭い声でピアーズを制した。
「支部へ戻れ。…命令だ」
「たい…っ、クリス!俺は…俺とあんたは」
「ピアーズ……頼む」
横暴を言っている自覚はあったが、今は隣で静かに怒りを溜めている男をなんとかしなければ。
なんだかんだで習慣上、上官の声でこうまで言われるとピアーズは弱い。
「わ、かりました…。けれど、このことははっきりさせて下さい」
「ありがとう」
納得できぬままピアーズは仕方なしに一旦身を引くことにした。
レオンは、黙って2人のやりとりを見ている。
何を考えているのかわからないクリスの「恋人」を、ピアーズは去り際に盗み見た。
あの怒り用から、何をするか解らなかったが、ピアーズはレオンを知っている。まさかあのラクーンの生き残りでD.S.Oのエージェントが、クリスに酷いことをする筈はないだろう。と信じていた。






「もどれ」
ピアーズが出て行ってすぐ、レオンがクリスに言った。
「え…?」
「バスルームへ」濡れたクリスの髪に触れたかと思うと、雑な力で掴み上げた。「行け」
そのまま有無を言わせぬ勢いでレオンはバスルームへクリスを押しこみ、服を脱がすのもおざなりにシャワーを浴びせ掛けた。
「レオ……ぐっ」
壁に押し付けて顎をつかみ上げるとあの冷たい目のままクリスを見やった。
「身体を見せろ」
残った着衣をすべて剥ぎ取ると、常時の名残も色濃い肌に眉を潜めた。
レオンが着け、少し薄くなってきた跡を蹂躙するようにしつこく赤い痣が散らされている。
そのまま強引に後ろを向けさせると、何の準備もせず付き入れた。
「!!あ!やめ」
「…」
レオンは黙ってクリスの中を穿つ。自分以外の名残を掻き出そうとするかのように。
いつもは饒舌なレオンが一言も言葉を発しないまま、思いやりのない行為にクリスは恐怖した。
「あ、あ、っ!レオン…い、痛い」
「…そうか」
「あっ!」
クリスに快感を与えようともせず自分勝手に蹂躙して、レオンは中に吐精した。
「俺のものだ…」
俺の物だ。お前が誰を思っていようとも、お前の思惑がどうあろうとも、俺はお前を手に入れた。そして、二度と、手放す気などはない。


有無を言わさずレオンはクリスを犯した。
バスルームでもう一度、そして昨晩ピアーズとクリスが過ごしたベッドで、再び。
怒りのままにクリスへ感情をぶつけた。最初こそ弱く抵抗を示したものの、あとは嵐が頭上を過ぎ去るのを待つ様に、クリスはひたすらレオンの怒りを受け入れた。
もともと疲れた身体に鞭を打ってここへ帰ってきたレオンは、何度目かの行為の後、いつのまにか眠ってしまっていた。
クリスが裏切ったことへの怒りと、クリスが去ってしまうのではないかという恐怖、そして、クリスが愛したのが自分以外の人間であるという悲しみとともに、クリスをきつく抱きしめて、眠りへついた。

けれども、目覚めた時、彼の姿はもう、どこにもなかった。









「ニヴァンス隊長」
「ピアーズでいい。それから、隊長じゃない。隊長代理だ」
「は…」
ピアーズの言葉に、まだ何にかいいたげな隊員を、マルコが目で制した。
あれからクリスはピアーズの前に現れることなく、姿を消した。
行方不明ではない。本部は知っている。けれども教えてはくれない。
クリスは単独エージェントに立場を戻した。元々、オリジナルイレブンである彼にはそうできる権利がある。そうすると任務によっては、一介の隊員には内容を明かされない。
上層部は納得しても、ピアーズは聞き入れない。αチームの隊長は、不在になっている。
逃げたのか。俺からも、自分の気持ちからも。
本部からクリスに代わって隊長につくようにと達しを受けピアーズは荒れた。他の隊員達も非常に残念がったが、一時期はピアーズを宥めることで感傷に浸る暇もないほどだった。
しかしいくら独りでわめいた所でクリスには届かない。届かないなら、見つけ出すのみだ。そう難しいことではない。互いがBSAAとして繋がっている限り。
「こういうときの俺は、しつこいんですよ…」









安宿の、きしむ祖末な窓を力任せに押し上げると、クリスは煙草の煙を吐き出した。
身体は疲れていたが、寝る前に武器の整備を済ませなければ。もう、それを注意する部下はいない。
工業地域の空はなんとなくいつも曇っているように見える。
片田舎の小さな企業都市は、どこかあの街を思い起こさせた。
この宿命からは逃れられない。遠く距離だけ空けてみたところで、BSAAとの絆が切れることはない。
だが、いまは、まだ。もう少し時間が欲しかった。…時間が、強い感情をも薄れさせると期待したかった。
そして、組織に所属している限り、完璧に情報を遮断することは、難しい。
「嫌な街だな」
部屋に響いた声は、クリスのものではない。短くなった煙草をもみ消して声の主を振り返ると同時に顎を捉えられ口づけられた。
苦い、と笑う金髪が、頬を撫でる。覗き込んでくる青い目から、クリスは感情のこもらぬ瞳を逸らした。
できるなら、彼も己から引き離しておきたかったが…
クリスが姿を消してから、レオンは突拍子もない行動に出た。
本来内密に事を運ぶべき案件で派手に暴れる。事を大きくし、民間に情報が流れる直前まで行動を露出する精鋭エージェントは関係者達を大いに困らせた。
混乱を引き起こす前にと、場の収拾のためにBSAAは腕がたち、レオンの旧知である人間を派遣した。
クリスのほうから、出向いていくしかなくなってしまったのだ。
二度と、手放す気はないと言っただろう。
再会した時、レオンは恨み言も言わず、説明ももとめず、ただそうとだけ言った。
「仕事は終わった。こんな街早く出よう」
「…この件が終われば、俺はまた別の場所へ行くぞ」
「いいね。もうあの犬どもの所には戻らないんだろう?」
荷物は、少ない方が良い。俺も、お前も…。
愛しさを込めた優しい仕草で、レオンはクリスを引き寄せた。
冷たい態度も、強引な行為も、ピアーズと対峙したあの日一度だけだった。

自分の感情がどうあれ、自分の存在は2人の害になる。そう思いどちらからも離れた。レオンに再会してからは、その思惑は外れてしまったが、己の身さえ与えていれば穏やかで優しい、以前の彼を取り戻せている。それが償いになるなら、自分にはそれしかできないから、そうしている。
今はもう、レオンに対する感情が何なのか解らない。レオンはクリスに愛していると言う。愛しているから執着するのか、執着を愛と呼んでいるのか、レオン自身には、解っているのだろうか?
クリスが素直に身を預けていれば、レオンはうやうやしく大切にクリスを抱いた。
丁寧に扱われれば扱われる程、それほどの価値など己にはないのに、彼を欺いている気がして、クリスの心は冷えて行く。
せめてピアーズだけは、俺を忘れて成すべき道を行って欲しい。最初はクリス自身が恋心に蓋をしながら側にいることが苦しくて、逃げていただけだった。けれども今のピアーズには、クリスのために全てを投げ出してしまいそうな危うさがあった。
愛しいと思う気持ちより、愛しいと思う者が自分のために盲目になり間違いを起こしてしまうのが怖かった。
だから遠ざけた。これで良かった。
そう、思っていた。








まるで幽霊を見た用な顔ですね。
人好きのする快活な笑顔で、彼は笑っていた。
「どうして…お前が」
次の案件でパートナーとなる諜報部のエージェントと待ち合わせた場所にいたのは、クリスに代わってαチームを率いているはずの、ピアーズだった。
「いやあ、がんばりましたよ。行動範囲レベルを上げないと、貴方を探しにいくことも出来ませんからね」
まあ、オリジナルイレブンほどとは行きませんが。
「SOAに移ったのか…」
実働部隊であるSOU、そして調査や諜報でバックアップするSOA。ピアーズは軍所属経験者で戦闘スキルの高いSOUのエースだった。
惜しい、と、最初にクリスが思ったのはそれだった。しかし隊員の個人能力によって決まる行動範囲レベルを上げるのは並大抵の努力ではなかっただろう。
時間は何の解決にもならなかった。己の適所を捨ててまで自分を追って来たピアーズの決意に、逃げた自分の愚かさを後悔した。
「じゃ、行きましょうか」
けろりとした態度でピアーズは歩きだした。途中淀みなく状況報告する様子に既視感を覚える。また、こうして肩を並べることになるとは…
黙り込んだまま後を着いてくるクリスを振り返り、ふとピアーズが歩みを止めた。どうかしたか、と訪ねるクリスの顔を覗きこみ、欲にギラついた眼光がクリスの瞳を捉えた。
「早く終わらせて、貴方を抱きたい」
クリスが愛した者とは真逆の、暗く響く声色だった。




「あ、あぁ、やめ、跡は、つけるな…っ」
「あんた……まだアイツに、会ってるんだな…っ!」
離れていた間の空白を埋めようとするようにピアーズはクリスを貪っている。
眠るためだけに用意された安宿のベッドがぎしぎしと耳障りな悲鳴を上げた。
「まあ…いいです。こうしてまた貴方に会えた…」
クリスの制止も意に介さず執拗に食らいついて痕跡を刻んでゆく。
「もう、離しません…っ」
「っく、うあ…!」
より深いところで繋がろうとするように激しく穿ち、何度も息苦しくなる程のキスをした。愛してる、愛してます、クリス。うわごとのように耳に流し込まれる言葉が呪詛のようにクリスの感情を掻き回し、快感を無理矢理引きずり出していく。
甘くとろけさせるようなレオンの愛し方とは違う、荒々しく奪うようなピアーズの愛撫。








もう、クリスが、どちらかを一方を選べば収まるという話ではなくなった。




夜が来る。男が訪れる。訪れる男は、クリスの身体に別の男の名残を見つけると、それを塗りつぶそうと躍起になってその身体を蹂躙する。
そしてもう一方を挑発するようにまた、痕跡を残す。
クリスを手放す気がない2人は、クリスが結論を出す事を拒んだ。クリスの意志など関係なかった。そしてその愛を得ることよりも、己の腕の中から失うことのほうを恐れている。
強引に組み敷く有無を言わせぬ態度とは裏腹に、共に過ごす夜は2人とも縋るようにクリスに身を寄せた。クリスは逃げることを止め、ただ黙ってその晩に訪れる者の抱擁を受けて側で眠る。
ただ、そうすることしか出来なかった。




今夜も扉を叩く音がする。











PIERS

”生まれた時”から俺はクリスと2人だった。
クリスは俺と少し形が違ってる。いや、違うのは俺のほうなのだろうか。クリス以外の他人を知らないから解らない。
クリスは、俺が外に出るのをよく思わない。俺が外に出たがってもきつく怒ったりはしないが、困った様な、悲しそうな顔をする。俺はその顔を見ると、クリスが俺を嫌いになるんじゃないかってとても不安になる。だからあんまり我が侭は言わないことにしている。
クリスは俺が他の誰かに見られるのを怖がっている。だから、やっぱり違っているのは俺のほうなのだろう。普通はクリスのように左右の腕が同じ形で、顔の形も対称なんだ。
俺はクリスが好きだ。クリスしかいないから好きってわけじゃない。クリスが好きだから、クリスだけいたらそれでいいと思っている。
だから、どうして俺が違った見た目をしているのかなんてどうでもいい。クリスはとても優しいし、俺が違っていることも気にしてないみたいに思う。

クリスは優しいって言ったけど、本当に優しい。”生まれた”ばかりの俺が、うまく身体を動かせずに暴れた時も、なにもとがめることはなかった。ただ、俺を落ち着かせようとしたクリスに怪我をさせてしまった。そのことは今とても後悔していることのひとつだ。
俺が右腕の光を自分でコントロールできなかった時も、根気よく側にいてくれた。最初はクリスを敵だと思っていた俺はとても酷いことをしたと思う。あの悲しそうな顔を何度もさせてしまった。あとになってクリスに謝ったけどクリスは少し驚いて、それから笑ってそんなこと気にしなくて良いと言ってくれた。怪我の跡が残っている。俺はそれから絶対にクリスを守ろうと決めた。

クリスは俺を”ピアーズ”と呼ぶ。その声はとても心にしっくりきて、クリスに”ピアーズ”って呼ばれるのは好きだ。だけどクリスはそれから俺の知らない話をする。クリスと”ピアーズ”が過ごしたことの話。懐かしそうに、とても大切なもののように話す。俺はその話を聞くのはすきじゃない。だってその”ピアーズ”を俺は知らない。俺の知らない誰かとしたことを楽しそうに話すクリスは好きじゃない。でも俺が相づちをうつとクリスが喜ぶから我慢している。ほんとは嫌だけど、クリスに嫌われたくない。

俺達は家に2人で住んでいる。(この建物は”家”というらしい)
最初のほうクリスはよく俺に居心地が悪くないか聞いた。不便なことがないかとか。別に俺はクリスがいればどこでも何でも良いんだけど、そうやって俺を気にかけて優しくしてくれることが嬉しい。だからこの家は好きだ。
家にある物はクリスがどこかから持ってくる。クリスもあんまり外に出て行かないが、必要な時は時々どこかへ出かけて行く。すぐ帰ってくる時もあったし、何日もかかることもある。何日もかかると俺はすごく不安になる。ある時はいてもたってもいられなくって家の中をめちゃくちゃにした。帰ってきたクリスはやっぱり怒らなかったけど、それどころかなかなか帰ってこなかったことを謝ってくれたけど、だけどやっぱり困った顔をして、俺と一緒に暮らす家だから、大事にして欲しいと言っていた。それでなんとなく、クリスと俺の2人の”家”ってものが大事に思えるようになった。それをめちゃくちゃにしたことが、俺の後悔していることのふたつめ。

家のまわりに他の建物はない。森と、近くに小さな池と、あとどこかへ続く道が一本ある。俺の世界はその景色とクリスで完結している。それを不満に思ったことはあんまりない。だけどクリスはどこかへ行った時は他の誰かと会っているみたいだし、誰かと電話ってやつで話したりしている。それが嫌だ。クリスにも俺だけでいいのに。だらかあの一本の道さえも無くなってしまえばいいと思う。クリスが言うには俺とクリスが一緒にいるために必要なことらしいので、我慢してるけど。
でもそれ以外はクリスはずっと俺と一緒にいる。怪我をさせてしまってから右手でクリスに触ることが怖かったけど、クリスは光る俺の右腕を撫でてくれる。顔にも触ってくれる。怖くないよって言うみたいに。クリスに触られるともっとクリスに触りたくなって、クリスが駄目って言うまでずっとクリスにくっついている。動きにくいなあなんて笑いながら撫でてくれるクリス。大好きなクリス。だけどそうやっているとなんだかまた暴れ出したいような気分になって、クリスに酷いことはしたくないのに、何故だか乱暴にしたくなってしまう。それはどうしてかクリスを大事だと、好きだと強く思えば思う程ひどくなって、クリスが怒らないから、俺が何をしても怒ったりしないから、だからやってもいいと思ってしまったんだ。クリスが駄目って言ってもクリスに触った。もっともっと、どこもかしこも触れ合っていたかった。もっと近くに。こういうのはどうしたいというんだろう。食べてしまいたいというのに似てる気がする。抱きしめて、いろんなところに口をつけた。知らない内に光が強くなっていて、なにかにすごく焦っていてクリスに触る力がいつのまにかきつくなってしまってたんだと思う。気がついたらクリスは俺の腕の中でぐったりしていた。
ものすごく怖かった。何度も何度もクリスを呼んだ。傷つけないように撫でたり揺すったりしたけど目を覚まさなくて、俺はクリスが壊れてしまったと思って泣いた。泣きわめくといつか癇癪を起こした時のように家の中が光でめちゃくちゃになったけど、家なんか壊れてもクリスがいないと意味がない。
すごくすごく長い夜が空けてようやくクリスが目を覚まして、俺はまた泣いた。クリスは弱々しく笑いながら震える手で俺を抱きしめてくれた。
俺にクリスは守れないのかもしれない。クリスは目を覚ましたけど、俺はそれに気付いてから今までで一番怖くなった。クリスを守れなければ俺なんて意味がないのに。

それから、今まで以上にクリスの姿が見えないのが不安になった。クリスも心配してくれてるみたいで、出かけてもすぐに帰ってきた。だけど無理をさせてる気がする。クリスを困らせたくない。けれども俺のために困るのが嬉しい、可愛いと思う。単純にクリスを好きだったのに最近はなんだかぐちゃぐちゃだ。また物を壊してしまった。クリスに嫌われたくない。

どうしていいかわからず、またクリスにくっついて思いつくところ全部に口をつけていたら、クリスが「やり方」を教えてくれると言った。。。。。
その時のことをうまく説明するのは難しい。いつもは何でも知っていて、何でもできるクリスを頼もしいと思っていたけど、そのときのクリスはとても頼りなげで、弱々しくて、可愛いくて、それで、俺とクリスが一番近くなって、ひとつになれるやり方を教えてくれた。
一度、クリスが教えてくれたら俺はあとはどうすればいいのかすぐ解った。何度も何度もした。俺はクリスを食べてしまいたいのかと思ってたけどそれは違ってて、これが俺のやりたかったことだったんだと解った。クリスはもう解ってたんだ。クリスは俺のことをなんでも解っている。俺はそれが嬉しい。俺はそれがすごく気持ちよかったけど、クリスは苦しいみたいだった。後で聞いたらそんなことないって言ってたけど、クリスは優しいからちょっと嘘かもしれない。でも苦しそうにしてるクリスはやっぱり可愛い。
俺はそれからいつでもそれをしたかったけど、優しいクリスもそれはあんまり許してくれなかった。真夜中になると応えてくれることが多かったけど、それでもあんまりだ。やっぱり苦しかったのかな。
何度目かのあとに、久しぶりにクリスは”ピアーズ”の話をした。俺もピアーズなのに、なんだか俺と”ピアーズ”は違うっていうことを言いたいんだろうって気がして、苛々した。
”ピアーズ”はたぶんクリスと同じ形をしている。そんな気がした。けれど俺はその”ピアーズ”になりたいとは思わない。俺のほうがクリスに大事にされているし、それにこの形をしている俺はクリスより力が強い。これは本当に圧倒的に強い。俺には出来ない気がしてたけどやっぱり力があるこの形の俺がその”ピアーズ”よりクリスを守れると思う。それから、俺が抱きしめてるとクリスは自分の力では俺の腕から抜け出せなくって、それがすごく可愛いんだ。だから俺はこの形でいい。






        
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